
SNS、匿名掲示板、動画コメント欄、まとめサイトなどの発達により、個人の失敗、逸脱、貧困、家庭問題、人間関係の破綻などは、単なる個人的な出来事ではなく、不特定多数が閲覧し、評価し、議論する対象となっている
そこでは、共感だけではなく、冷笑、分類、批判、嘲笑といった感情もまた消費される。
「あの人はなぜそうなったのか」 「本人にも原因があるのではないか」 「普通ならそんな行動はしない」
こうした視線は、現代ネット文化において極めて一般的なものとなった
本作には、主人公みいちゃんだけではなく、山田さん、その家族、周辺人物、夜の世界に関わる人物、搾取する人物、搾取される人物、社会規範から逸脱した行動を取る人物など、多数の強烈なキャラクターが登場する
これらの人物は、それぞれ異なる問題を抱えている。しかし同時に、現代のネット空間において「理解不能」「気持ち悪い」「異常」「関わってはいけない存在」として語られやすいアイコンでもある
この作品「異常者動物園」という比喩を用いて分析する
むしろ、現代ネット文化において、人間が他者を観察し、分類し、評価し、消費する際に用いる視線を分析するための概念である
動物園において、動物は善でも悪でもない
獰猛な動物もいれば、愛玩される動物もいる。しかし檻の外にいる観客が、その存在を見て何を感じるかだけが問題となる
スレタイNG入れるわ
『みいちゃんと山田さん』という作品を通して、現代ネット文化における「他者を見る欲望」を分析していく
しかしインターネットの発展により、その境界は大きく変化した
現在では、個人の人生そのものがコンテンツになる
不幸な生い立ち、特殊な職業、破綻した人間関係、極端な思想や行動は、多くの閲覧者を引き付ける
人間は、自分とは異なる存在を見ることで、自分自身の位置を確認する
「あの人よりは自分はまともだ」 「こうならないようにしよう」 「なぜこの人はこんな選択をしたのか」
という心理が働く
つまり他者観察は、情報収集であると同時に、自己確認でもある
『みいちゃんと山田さん』はこの自己確認を求めるネット民に向けて描かれた作品だ
むしろ重要なのは、あらゆる対象を「観察可能なもの」として扱う点にある
評価とは理解することではなく「分類する」という行為で行われる
なぜこうなったのか
責任は本人にあるのか
人間を物語ではなく、分析対象として見る視線である
みいちゃんと山田さんは、このネット民的な視線と非常に相性が良い
なぜなら、本作の世界には、その視線が向かいやすい人物像が多数配置されているからである
作者自身もまた、現代ネット文化の中で作品を発表し、読者と接続する表現者である
つまり、
ネット文化を見る者
であると同時に、
ネット文化の一部である
みいちゃんと山田さんという漫画の特徴はネット文化を外側から批判することではなく、その文化が持つ人間観や言葉遣い、価値判断を作品表現へ取り込んでいる点にある
もちろん、みいちゃんは作品の中心人物であり、物語の感情的な軸である。しかし、本作の特徴は一人の主人公の悲劇を描いていることではない
むしろ重要なのは、みいちゃんを取り巻く世界そのものが、極端な人物像によって構成されている点である
そして、それぞれが異なる形で「普通」から外れた特徴を持つ
ある者は判断能力に問題を抱える
ある者は他者への共感性を欠く
ある者は過剰な思い込みによって現実との距離を失う
ある者は自ら傷つきながら、同時に他者を傷つける
ある者は他者を利用する
つまり、本作において異常性は主人公だけに集中しているのではなく、作品世界全体に広がっている
しかし、作品全体を見ると共通した機能が見えてくる
それは、「社会的に望ましい人物像」から外れた存在を集中的に物語に配置していることである
ここでいう逸脱とは、単純な悪人という意味ではない
善人であるが弱い人物
被害者であるが問題行動を起こす人物
加害者であるが自身も何かを抱えている人物
というように、明確な分類を拒む人物が多い
しかしネット空間では、人間はしばしば一つの属性に還元される
「かわいそうな人」
「迷惑な人」
「危険な人」
「気持ち悪い人」
「発達障害」
「精神病」
「ボーダー」
「パーソナリティ障害」
というラベルによって整理される
本作の登場人物群は、まさにそのラベル化の対象となりやすい人物像を大量に配置している
観客は「かわいい」「怖い」「珍しい」「醜い」
という色々な感情を抱く
しかし、その動物自身は観客の評価とは無関係に存在している
本作の人物群も同様である
彼らは、それぞれの人生を生きている
しかし読者は
「なぜこんな行動をするのか」
「なぜこんな人生になったのか」
「自分ならこうはならない」
という視線を向ける
「みいちゃんは私だ!」
「山田さん視線で読んでると~」
といった読み方をする読者も稀に現れる
初期の頃のこの作品の読者層はこれがメインだった
主人公の成功を喜び、苦難に心を痛め、成長を見守る
しかし、本作の読まれ方は、それだけでは説明できない
これはドキュメンタリーを見る感覚に近い
「こういう人間が存在する」
「こういう環境がある」
「こういう失敗がある」
という情報を受け取る
そこには哀れみだけではなく、好奇心や優越感が支配する
炎上した人物
奇妙な発言をする人物
社会規範から外れた行動をする人物
そうした存在について、多数の人間が議論する
むしろ「自分たちは正常な側にいる」という確認作業になることがある
他者の逸脱を見ることで、自分の正常性を確認する
この心理は、みいちゃんと山田さんの読書構造と重なる
しかし同時に、その人物たちは完全な異世界の存在ではない、現実社会の延長線上にいる
だからこそ読者は「他人事ではない」という感覚と「自分はここまでではない」という距離感を同時に持つ
それは「他者を見る場所」である
読者は作品を通じて、
極端な人間
社会から外れた人物
人間の弱さ
人間の醜さ
を見るという体験を得る
ここに現代ネット文化との共通点がある
ネット民が日常的に行っている
「他人を観察する」
「分類する」
「評価する」
という行為を、漫画という形式で提供しているのである
作者
↓
作品
↓
読者
という一方向の関係として作品受容は説明されてきた
しかし、「みいちゃんと山田さん」では、この関係は循環する
作者は社会やネット文化から題材を得ている
観察する側
↓
観察対象を作る
↓
観察対象を消費する場で評価される
↓
自身が観察対象になる
という循環が発生する
これは現代ネット文化に特徴的な現象である
インターネットでは、誰もが評論家であり、同時に評論される対象でもある
誰かを評価する視線は、容易に自分自身へ戻ってくる
そして、その作品が評価された空間もまた、他者を観察し、評価する空間であった
そのため、作品外で作者自身が批判対象となった現象は、単なる偶然の炎上ではなく、作品が成立した文化環境と同じ論理によって発生したものと見ることができる
ここに、本作をめぐる現象の特徴がある
叩ける対象を見つけて思う存分に叩きたいという欲求
これは人間社会において普遍的なものである
問題は、現代のネット社会では、その欲求が極めて大規模かつ高速に共有される点である
そこでは、理解したいという欲望と評価したいという欲望が混在する
本作は、この二つの欲望が交差する場所に存在する
そして本作そのものも、そういったネット民の一人によって描かれたアイコン的異常者動物園という構造になっている
なぜなら、登場人物の多くは一つの属性だけでは説明できないからである
被害者でありながら他者を傷つける
弱い立場にありながら誰かを支配する
問題を抱えながら別の問題を生む
そうした複雑な人物が配置されている
だからこそ、作品を理解する鍵は人物そのものではなく、その人物を見る視線にある
なぜそのキャラに興味を持つのか
なぜそのキャラを批判したくなるのか
なぜそのキャラから目を離せないのか
これは鏡であり、登場人物に近い読者ほど熱心な愛読者層として取り込まれる
本作の特徴は、多数の極端な人物像を配置し、それらを一つの世界に集積し「異常者動物園」とした点にある
その構造は、現代ネット文化における人間観察と強い親和性を持つ


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